蛇谷 りえ / JATANI RIE

光と影

1日に二回の葬式に出たのは生まれて初めてで、私よりも年下の子らが、葬式のマナーなどを下書きに準備であたふたしていた。鳥取にきたての頃、自分のばあちゃんが死んだときに揃えた黒のスーツワンピがあったのであたふたしているようすを懐かしく思う。朝の当番に喪服をきたままゲストを送り出す。走って午前中の家庭での式へ向かった途中、パステルカラーの首輪をつけた耳の大きなか弱い仔犬が道の真ん中でワンワン私に向かって吠えていた。家を飛び出したんだな、とすぐ前の家の扉が少し開いていたので、「大丈夫、大丈夫」と犬に声をかけながら、じっとしたが、腰をひけて怯えてるので、家の扉を大きく開けて、帰りなさいと祈るように見つめていたら、ワンワン吠えながら家へ戻っていった。やればできるじゃん。あの犬。と妙に納得して、会場へ急いだ。いつもの角を曲がったら、予想以上の家の外まであふれる人だかりで、外にいるだけで、200人ぐらいいると小耳に挟んだ。知ってる顔ばかりで、お辞儀しながら列に並ぶ。このさむい季節に、ワンピースにパンプスを着ている人は一人もおらず、私は震えながら出棺を見届けていると知ってる人が私の後ろに立って防風林になってあげると私の背後から両手を回した。背中の方で「世話になったもんねえ」と声が響いて、思わず泣いてしまう。こうやって、この町の人は、身体で以って他人を受け入れてくれさえもする。こんな外からきたたった4.5年しかいない私に。出棺のときになって、三宅くんが葬式の手伝い側にいて姿を表す。宗教の儀式かなんかで、鐘をならすらしく、3つの鐘のうちひとつ、しかも、1回目の音を鳴らす担当に任命されて、「いいんですか!?」とあたふたしているようすをみて、ニヤニヤする。鳥取にきたての頃も、町のイベントの鐘を当日急に叩くことになり、練習もしてない私たちがあたふたしていたら、いいからいいから、思い切り叩きなさいと笑いながら巻き込む町の人たちの、寛容さは、今も昔も変わってないなと思って。

午後の式が始まるまでに、1時間ほど時間があったので、温泉にはいって冷えた身体をあたためて、ダッシュで違う服に着替える。今度は黒のズボンとタートルネックと黒のジャケットとブーツ。たみに集まったみんなを乗せて、式場へ向かう。式が始まる5分前に着いたものの、席はほぼなくて、他の人に席をゆずって、みんなで立ち見する。隣の会場では、別の人の式があって、思わず間違えそうになる。暖かい場内で式が淡々と進行する。喪主さんの言葉から、彼女の人生をさかのぼって話す中で、最後に、「たみ」という言葉が出てきて驚く。71年もの生きた人の暮らしにたくさんの出会いがあっただろう中に、「たみ」が一言でも語られることなんて、考えてもみなかった。お別れの挨拶のときに、みんなが花を贈る。花を贈って立ち去る人たちはみな、影りのある顔をしていて、いい光だった。太陽みたいな存在の彼女がいなくなったので、残された私たちは影りがあって、だから悲しくみえるのかもしれない。涙がふいに出るので、なんで泣いてるのか、わけわからなくなってた。お通夜のとき、この地でたくさん受けた恩を誰かに返していくことを約束した。

 

2016年02月09日 BLOG