蛇谷 りえ / JATANI RIE

ざらざらしたものに触れていたい

物質がある限り、ざらざらするものは必ずあって、その粒子は大きかろうが小さかろうが、そんなことは関係ない。空と雲の間にも、指と指の間にも、ざらざらしたものがあって、空は空と名付けられただけで、別に必ず青い絵の具でぬってほしいわけじゃない。青じゃないときの方が多いし、空もきっとざらざらしてる。

電子が通った関係はもう嫌だ。たまにでいいから、ざらざらが私とあなたの間を通ることを確認したい。風だろうが蚊だろうが、鳥だろうが人だろうが、今、私とあなたの間にざらざらがあって、その粒子が動いたことを確認できたら、どれだけ安堵することでしょう。たしかに私はここにいて、あなたはそこにいる。ざらざらによって同じ音を聞くことができて、光によって反射して、同じものを見ることができる。それだけでほら、よくなくない?

電子の役目はもう終わった。is OVER. そうだ電子さん、新しい役割をお願いします。0と1の間にざらざらが行き交うようなものを、作られた均一化されたドットじゃなくて、土みたいにくねくねでどろどろにもできて、生温い風とか、寝ぼけた声とか、涙の温かさとか、心がじーんとして、でもそのじーんは二度と再生できないから、その一瞬一瞬を逃さず抱きしめる、そんな勇気が出るぐらいの。

2015年07月27日 BLOG