蛇谷 りえ / JATANI RIE

みなさん、FLOATへ行ってください。

私の大事な友達が運営している大阪の九条にあるFLOATが、今年いっぱいで運営終了します。2008年の夏からオープンして、オープニングパーティの様子は、今でも覚えているほどで、大阪の仕事でよく会う人たちが、総出でFLOATと名前のついた2F建ての大きな倉庫をせっせと掃除したり、お客さんがつまづいて転ばないように養生したり、ゴミ箱の分別をしたりしました。時間になって、米子くんはスタンドマイク1本になんら緊張した顔もせず、まっとうな「ご挨拶」をして、なんやしっかりした人やないか、と4つ年が上であることを確認した夜でした。私は、仕事帰りの、大国町の家に帰るのがつまらない、夏のじめっとした夜はふらりと立ち寄り、いつも2Fの作業机に座ってる米子くんに「こんばんわ」と声をかけ、ソファに座って棚に並んでる岡崎京子のマンガをコツコツ読んでダウナーになったり、ぼそぼそと仕事の愚痴をこぼしたり、天気のいい日は昼寝をしたり、天体望遠鏡で道路にねそべって月を観察したり、ひたすら卓球をしたり、と仕事の邪魔をしてました。それから、FLOATでイベントが開催されるようになって、イベント独特の状況が好きになれず、猫みたいにこそこそ端っこの方で眺めて、イベントが終わったあとの、音楽家たちがなんでもない普通の人になった瞬間に一緒にお酒をのんだり、卓球をしたり、ごはんを食べたりするのがすきで、なんでか忘れたけど音楽家の家具をもらいに家までいった夜とか。大晦日を屋上でみんなで過ごして、元旦の日に道ばたでネグリジェを来たおばあちゃんがお化けみたいに1人で歩いてて、声をかけたら、迷子の人やって家をみんなで探偵みたいに無事に送り届けて、朝日がのぼったころに、北港かな?どこかの大橋で大阪を眺めたあの光とか。足をケガした猫を拾ってきてFLOATに来た二人に、手術とかでお金がかかると思って、どうしたらいいかわからず、とっさに財布の中にあった3千円をとりあえず渡したこととか。ほかにもいっぱい、あそこで出会った友達と呼べる人はたくさんいて、仕事場よりも、FLOATで出会った人とぽつりぽつりと今も連絡をとりあっている。他にも、FLOATにいくまでのキララ商店街で焼き鳥やたこ焼きや大学芋を食べながら行ったり、プラモデル屋に無駄にはいったり、喫茶店にはいったり、夜中にツタヤやドンキホーテで材料買い出しにいったり、マクドにいったり。ラーメン屋もたしかあった。おいしいお弁当屋さんもあって、駅のすぐ近くにある立ち食いうどんの肉うどんが好きでよく一人で行った。ヒレカツ定食のお店も好きやった。いっぱい泣いたし、いっぱい笑った。1人じゃなくて、いろんな人と。鳥取にきてから行く回数がめちゃくちゃ減ってしまったけど、私にとって始まりの場所で、あのときの私を基準に今の私があると思ってる。

自分でたった3ヶ月半のスペースを運営してたときに思ったけど、スペースは人がいなくなったら、ただの箱になる。がらんとした骨みたいな状態になる。そこでどれだけの人が出入りして、思い出があったとしても、何事もなかったような空気が流れる。だから、お願い。FLOATがただの箱になってしまう前に、姿かたちがなくなってしまう前に、わたしにとって、唯一無二のあの場所をみんなの目に焼き付けておいてほしい。今までほんとうにおつかれさま。たくさん、全部ありがとう。

http://float.chochopin.net/

2015年11月02日 BLOG