蛇谷 りえ / JATANI RIE

具体的で

具体的なことをしていると、宙に浮いたような、言葉にならない感覚を取り戻したくて、伝わる、とか、伝える、とかそういうことは無しに、言葉を思いついた順番に出してみるけど、なに話してるんだろな、と冷めてる自分もいたりして、なんだか不安定な感情になっている。でも、具体的なことばかりの毎日はやはり退屈なので、一人で散歩をしたり、匂いのあるお茶を飲んだり、夢中になってつくった生きたご飯をたいらげることで、少し取り戻してはいる。草原のなんにもない空間でぼけーっとしたいなー。でも、外は雨で、雨の音が気に触るから、そうもできない。車は目的地がないと動かせないからとても不便なマシンだし、パソコンだって、昔起きたことにしか検索できなくて、昔、そこにいなかった自分を悲しむだけでぜんぜん満足できない。インスタントな食事は心を固くする。大きなヘッドフォンでも買って、列車に揺られるのも悪くないね。音楽は始まるけど、終わりもあるから、寂しい気持ちとおかしい気持ちが同居する。写真や映像は、いま、たしかにそこにあったことを記し、それがなんなのかは、自由に誤読できるのがたのしい。そこに終わりはなくて、あたまの中で何度もものがたりが繰り返せるから。出来立てほやほやの生のものも好きだけど、たしかにそこにあったものごとというのは尊くて良いと思う。そうやって、自分の嫌なものとか、好きなものとかに想いを巡らせて、なにか、宙に浮いたような世界とか、風景に触れようと、もがいてはみるけれど、それはここにはなくて、作らないとどこにもないんだなーって、あらためてがっくりする。

2015年12月03日 BLOG