蛇谷 りえ / JATANI RIE

現代なんとか

こっちにきたときから、今までのやり方はここでは通用しないなっていうことは、薄々わかっていた。学校ではマーケティングを学んだし、大阪に居れば、たくさんいろんなものを見たり聞いたり、東京や海外へいくこともできたり、ネットをぐぐれば、最先端なものも見ることができた中で、「いかに、なにを作るか。」を考えて実践してきた。だけど、ここ数年住んで、鳥取で暮らす作家の話を聞いてると、全然違う。マーケティングもしてないし、最先端なものも知らない。もちろん、技術を学ぶために学校は出てるけど、あとは独学で、ずっとこの地で生きている。デザイナーとか、アーティストとか、肩書きもなく、「◯◯さん、変わってるよね。」って周囲に言われながらも、実家や自宅で、黙って自分の手でものを作ってきた人たち。作った物は、発表会やお店に並べて、周囲の人たちを招く。作った物をみて、あれこれ好き勝手に感想を言い、作家は素直に耳を傾け、100のうち、1ぐらいだけ実行する。意地悪とかじゃなくて、作ってみると、不具合が起きるから自動的にそうなる。バランスとか、価格とか、時間とか、いろんなことに。作る上での事情ってものが、悪気なくフィルタリングをする。また発表する。目の前のお客さんの財布事情、自分の制作時間、材料代などを見積もって、売り上げを考えて値段を設定して、お金にしてきた。周囲の人が、その人の技術をかって、逆に提案してきたり、オーダーメイドをしたりもする。そうやって、周囲の人に支えられてものづくりを続けてきている人がここにたくさんいて、そういう人の話は、自分の手で試したり、経験で作られてきた言葉だから、具体的で、信用できる。着眼点も、伝統的なものごとに囲まれてるから、自ずと影響を受けてる。コンセプトとかミッションとかじゃなくて、身近にあって、逆に新しいものとの出会いが、あちこちにある。物や昔作った人に対するリスペクトを持ちながら、つくられた物は、黙っていても、それを語ってる。あの材料がないから、とか、お金がないから、とかいいわけがない。ないのは、承知の上で作っていて、だから「なぜ作るのか」も当人の身体はすでにわかってるから、やめる理由もないし、野暮な質問はできなくなる。この、周囲の人たちというのは、たぶん半径50km以内ぐらい。インターネットが普及しても、人の口コミなんてそれぐらいの影響力。100kmを超えるほどの人を動かす力はないけど、物だけでそれだけいけるのは結構すごいと思う。あとは、どう伝えるか。だけど、そんなに飛距離が必要なのか。そこに力を注ぐより、作家は深度を高める方が、物にとって必要なんじゃないかな。作家が死んでも、物は残る。残った物をとおして、作ってない人たちが宝物のように語ることができる。みんなと同じ物を持って、大きな時代や価値観を語るんじゃなくて、みんなバラバラに、語りたくなる物が世界に溢れてほしいと思う。こういう作家にこれからもたくさん出会いたい。

2018年02月01日 BLOG

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