蛇谷 りえ / JATANI RIE

まだわからんねんけど。

去年の半年ぐらいやってたゲストハウス型プロジェクト「かじこ」をした古民家が解体されていた。誰かが購入したことまでは聞いていたけど、解体されるとは思ってなくて、すごく悲しい気持ちになった。それは、かじこをやってた場所がなくなったこともあるけれど、それとは別に解体する行為について悲しく捉えている。かじこを始めたときも、古民家を再利用するっていいですよね、って応援の声をくれる人もいたし、自分たちもある地域でやってるんです、とかいろんな活動があるんだなあと思って話をしていたけれど、いろいろ言葉で語られているけれど、結局そういう意識はその人たちにしか届いてないんじゃないだろうか。私たちもまた、届かなかったんじゃないだろうか。

別に更地にして、新しい家を立てることや古い家を手放すことを否定してるわけではなくて、制度や人間関係、いろいろあってその選択をしているんだと思うけど、もっとあったはず。なぜ、すぐに新しくつくろうとするんだろう。そこにあった物語り、風景、歴史、文化は、見えてないのだろうか。見えていたとしても、それは優先順位が低いんだろうか。持ち主の目的と、形にする手段がわからないなら、専門家に聞けばいい。専門家がもっと近くにいるか調べてみたらいい、声に出してみたらいい。なんで、一人で抱えて決めてしまうんだろう。お金で買い上げたから、それはほんとにその人のものなのだろうか。その町のこと、それまでのこと、いろんな関係性があってのあの家だと私は思ってる。少なからず、あの家に関わった人はたくさんいて、わたしもそのうちの一人なだけだけど、それをただ見てるだけで終わってしまうことが、ほんとに悔しくてならない。私ならどういう関わりをしただろう。

かじこは、あの家じゃないとできなかったことがたくさんあって、あの家と出会うまでもたくさんの地域や物件をみて、ようやくあの家とやっと出会ってん。あの家に住んでいたおかあさんやおばあちゃん、周囲に住む地域の方たち、私たちはすべてを大事にしながら、その中で思い切り自分たちの思いを形にしたん。あの家にこだわったわけじゃないけど、あの家が重要な要素やったはず。そんなポテンシャルの高い家を、私たちはあの期間限定の一瞬の中で自分たちのことだけ達成して、あの家ごとをみせるパワーがまだまだ足りなかったんや。

あの家だけじゃない、あの町も、あそこで出会った人たちも。全部が必然だったプロジェクトだったことをみせるパワーが足りなかったのかもしれない。でも、あの一瞬で終わったとは思ってない、私は出来る限りこれからも関わりたいと思ってる。関わるっていうのはすぐに手伝いができるようなわかりやすい目にみえたものではなくても、私はずっと見ている、それらを管理したいんじゃなくて、それらがどんな風に変わっていくかちゃんと見ていたいと思ってる。あのときからそれぞれに始まってるはずだから。

もっと自分のやってることがどこでどう反映するのか、視野を広く持たないと。やってるだけじゃ意味がない。

2011年06月02日 BLOG