蛇谷 りえ / JATANI RIE

のりちゃんについて

のりちゃんは、私の母のお母さんになる人で、母は、鬼婆といわれるぐらい、頑固らしい。私は頑固だって思ったことはあまりなかったけど、自分で決めたことは絶対なところを、頑固だというんだろう。のりちゃんと一番はじめのの思い出は、私が小学校のときに、のりちゃん家の市営住宅で泊まり込んで、大きなパズルを一人でやりとげたことが一番覚えていて、1週間ぐらいかかった気持ちでいたけど、おそらく3日間ぐらい。夏休みかなあ、忘れたけれど、何か退屈すぎて、大きなサイズのパズルを買ってもらって、それを一人で全部作りたいけど、自分家じゃ小さくてだめで、のりちゃん家にいった。ごはんをさくっと食べて、無心にパズルして、寝る。ご飯も、いっしょに食べるっていうか、話もそんなにしてなくて、のりちゃんは、私のそれをこっそりのぞいては「お嬢様、お昼にしましょうか」と声をかえて休憩がてら邪魔しにはいってきてた。専門学校の試験のときに、落ち込んで、自分家にいるのが苦痛で、だまっていたら、のりちゃん家に行く事になって、2.3日ずっと寝てた。そのときも、のりちゃんは私を慰めるわけでもなく、声をかけずに、私がふらりと声をかけるまで、のりちゃんはのりちゃんの暮らしをしていた。そうしてたら、勝手に元気になって、自分家へ戻って学校へいくようになった。それから、たまに思いついたときに、一人でのりちゃん家にいっては、ご飯をいっしょに食べた。私のバイトで稼いだお金で、すし半のうどんすき2人前をふたりでたべた。一人、1人前ずつ、数を数えて緊張しながら食べたのを覚えてる。髪の毛は、耳がかかるところまでないとべっぴんさんになられへん、とか、のりちゃんの意見を率直に話してくれたけど、それは強制でもなく、ふーん、そうやねえ、と理解してた。のりちゃんの昔の男の話をきいたり、のりちゃんが私と同じ年のときの話をきいたり、当時の大阪のまちのことも聞いて、ゲラゲラ笑った。話の中で、戦争のときの話になると、のりちゃんは楽しかったおもしろ話をしてくれるんだけど、最後の方は毎回怒って涙目で興奮してた。のりちゃんの振り袖とか、数少ないのりちゃんの持ち物はどれもちゃんといいものが残ってて、二十歳のとき、振り袖を貸してもらった。洋裁グッズも押し入れにたくさんあって見せてもらった。

しばらくして、相変わらず話を聞いていたら、眠たくなって、のりちゃんのベットの上で昼寝をした。そしたら、足の指をなぞるように触って、「りえの指は昔からずっと小さいなあ、グリンピースの豆みたいやなあ」とぼそぼそ触って、くすぐったかった。最近になってようやく自分のやってることやたのしかったことを話せるようになって、「りえは人生を思い切り生きてるな、ナチュラルに生きてるな」「自然体というか、そのままやな」と、のりちゃんが初めて私を言葉にしてくれて、うれしかった。

のりちゃんとは、そうやって、話をしたり、遠慮をしたり、した関係じゃなかった。私から見えるのりちゃんは、のりちゃんで、「おばあちゃん」じゃなかった。ここ2年ぐらい、ビデオを何度か回した。家にいたときは、それはそれで一人のときは寂しいと弱音を吐いて、病院で入院してる時に何度かいったら、周りにすごく気をつかっていた。先生や向かいの患者さんに、体が大して動かないのに、心配ごとばかりしてて、相部屋は気を使うからいややとつぶやいてた。個室になって、いとこや母の兄弟が出入りする。やっと個室になったけど、周りがべらべら話をしてると、何の話をしてるのか、言い合いになってるのか、気になって、のりちゃんが苛立ってた。気持ちはよくわかるので、だまって手をにぎって、ぽんぽんと、手をゆっくりたたいた。最後くらいのりちゃんの孤独のままで時間をすごしてほしいと願う。のりちゃんは、今なにを考えているのかなあ。

2011年12月05日 BLOG