蛇谷 りえ / JATANI RIE

あっちとこっち

ひとりひとり個人の価値観や声が、どこまで遠くにいけるか。時間や空間、言葉の壁まで超えて、どこまで響いて、届くのか。イメージするときがあって、それは逆に、個人がどこまで自由にそこでのびのび存在して居られるか、どういう環境がありえるのか、それがどのくらい長持ちするのか、と、あっちとこっちについて考えてる。

私個人の目の前で実験してる気持ちでもあるし、仕事を通して少しずつ試してる感じもある。デザインの作業もそうだし、自分のことでもそうだけど、自分の思いとか考えをこうやって、アウトプットするのは、そうとうな勇気が必要で、なかなか手を離せない。大丈夫、死にはしないってわかってるのに、ずっと、なにかをにぎってる。こんな状態で、自分を客観視するって、すげーな、と誰かをみて尊敬をする。でも一方で、他人をみる目は、わりと冷静にみてる。こうしたらいいのに、とか見てる。でも、自分のことになったら全然わかってないことがたくさんあって、でもわかってなくても、自分の好きなようにしてたら、それでいい。みたいな、変な強気で行動してたりする。洋服で、鏡をしっかり観るというよりは、肌の感じや、自分の目から見えてる範囲で、服装を決められたりするように。切り離して考えることが、なかなか出来ない。出来たときには、もう自分のものじゃないように見てる。

だれかに写真を撮られたり、誰かに自分を語られるたりするのは、ほんとはすっごい気になるけど、もうまあどうでもいいや。ってなってる。気になったところで、全部をキープできないことは知ってるし、ポーズをとるのは、自分の中であまりおもしろくないと思ってるのもあるし、切り離したら、もう自分のものじゃない感じで、興味が薄い。いやでも、自分から切り離される前の、この目線とか、自分の手元にある状態は異様に大事にする。誰にも見せたくないぐらいに。あと、自分の姿が映っているような境遇や、対象の人に、異様に反応したりする。この感じ、この矛盾してるような変な感じは、なんなんだろうか。切り離した後に、一体なにが残るんだろう。時間や空間を超えて、どこまでも遠くへいけたときに、私はどうしてるんだろう。この感じを、何かで再現したくて、経験したくて、ずっと探してる。

2011年11月02日 BLOG