蛇谷 りえ / JATANI RIE

空いた場所は余白に。

大阪のミナミの、もう少し南の町の話をきく。大人も自由に過ごし、こどももそんな中で、いろんな大人に見守られながら自由に道を歩く。困ったらお互い様。物物交換。応援する。そこに外からの者がやってきて、アートとかよくわからない言葉を言ってても、向き合って、わからないと言いながらも、応援する。わからないけど、悪い人じゃないってことで、受け入れる町の許容。空き家があったら、余白があったら、そのままに。

そうすることで、誰かが来ても関われる場所ができたり、自分のエリアに入り込まなくても大丈夫な余裕がある。いま、私が出入りしている場所は、キチキチして、身体を制限して、言葉で危ないとか注意して、それが暗黙でわかる人か、日本語が通じる世界でいることがわかる。いろんな人が訪れても、ある距離がとれる余白。こんな人がいて、あんな人がいて、でも笑っていられる距離のある世界。余白がまだあるんだなって、私が大阪では見つけられなかったことが、ある人によってカタチになっていて、それを知って少し安心しました。

2011年09月22日 BLOG