蛇谷 りえ / JATANI RIE

感想。

今日はremoとしてご近所映画クラブというワークショップを小学校の授業の中でしました。あらすじからつくって、撮影して、上映会まで。今日が最終日。
正直、remoとして関わりメディアについてのWSをするのは何度もあるけど、お手伝いって立場を徹してたし、自分も深く掘り下げて考えたことなかったのだけれど、私の言葉でまとめをしたりするのは、今回が初めてで、いっぱい考えることがあった。

それなりに考えてはいたんだけど、言葉におきかえて伝えるまでのプレッシャーは大してなかったし、私はそういう場をなんとなく避けてきたのもあったし。でも、ここ最近は、逃げてる場合じゃないというか、あーもう、どんどんやるしかないと気持ちもあって、あーでも、そういうの怖いんだよなーと揺れたりもしてた。

でも、今日こどもたちの顔をみて、すごい緊張しながらも、初めて自分たちの伝えたいことを表現して、それを客観的にながめてみたり、見せる覚悟が決まっていたり、観客から意見をもらったりするようすをみて、なんか勇気をもらいました。うまくいかなかったりもするし、ああすればよかった、って思う事もあるんだけど。やけに小学5年生の小柄な男の子軍団がかっこよく見えたりして。あの素直な不器用さは忘れてたなーって。

どこかでみたような誰かの何かのイメージを並べたら、それらしくきれいに作れるんだけど、こどもたちは知っててもそこまでの知識はなくて、メディアに対して無垢で、それゆえの乱暴さもある。そんな中で、わからないなりに偶然出たカメラワークだったり、テロップの使い方などの技術が、斬新というか、あたらしくて、大人には再現できないおもしろい発見がたくさんあって。何度見ても戸惑ったり、考えたりする、そういう未熟なメディアがここにはあった。何度再生してもボロボロになったりしない。ここにあるのはまったく飽きないメディアのように思いました。

もちろん、「作品」にすることで一人歩きをさせて、遠くの誰かを感動させたり、神がかったりするプロがいるのはわかってる。その点で言えば、こどもたちの映像は、関係性の上で成り立ってるとても一人歩きをするには、付き添いが必要なちいさな表現なんだけど。これもこれで、この大きな社会に存在できたらいいやん。ごまめじゃなくて、それに耳を傾けるのは、情報過多なテレビを観るよりもわざわざ美術館にいくよりも、よっぽど生活の中で心が豊かになると思う。

このちいさな表現をどう突き詰めたら一人歩きが可能になるのか、その一人歩きを可能にするには、どういう方法があるんだろうか、とずっと興味があります。でも、そもそも一人歩きすることが重要なのか、というのもまだ強い根拠がない。一人歩きするのはとても大変なことだから。だからそれを、もう一度広い視点からいろいろ考えてみたいし、じゃあどういう風景なら可能なのかを探してみたいな、と思いました。

2011年11月03日 BLOG