蛇谷 りえ / JATANI RIE

急にはじまった1月

年末、大阪でお世話になった人が急死したことを鳥取で連絡をうけて、ぼーっとしながら業務が終わり、年明けはおつやにいった。特別にお世話になったわけでもないけれど、こんなにも足下がゆれるのは、やっぱりその人がいた存在は私にとってすごく大きかったんだなーと、気づく。もっといっぱい話がしたかったし、たみにも来てほしかった。おつやには、全国からいろんな世代の人が集まり、急なかなしさとさみしさをこらえながら、久しぶりの再会に盛り上がるんだけど、こうして集まってるのも、そもそもはあの人の存在のおかげなんだな、と思うと、大きい家族みたいで、さらに泣きそうになる(ご飯食べながらすでに泣いてたけど)。

年が明けてすぐに、大阪へいったらまだまだかなしみはつづいていて、次にどの一歩を進めるかみんながそれぞれに考えていた。自分たちのことのように考えることもできるけど、一番身近な家族のことを考えると、どれが正しいかわかんなくなる。当人の話を聞きたいけれど、わたしだったら、まだまだかなしみの中にいて、それどころじゃないだろうなーと想像する。残すべき、なのもわかる。でも、「残す」って意識をしたとたんに、しくみができて、おおがかりになってわざとらしくなるのも違うと思う。もっと自然に残ったものに期待したい。自然に残すってなんやろうな、急にその問いが投げられたようで、考えるのに時間がかかってる。

2014年01月14日 BLOG