蛇谷 りえ / JATANI RIE

今年に入って、何回目かのお葬式にいく。慌てていつもの喪服をきたら、前回の涙の渇いたシミがついていて、ゴシゴシしながら歩く。あたりまえだけど、いろんなお別れの仕方があって、今回はレインボーフラッグがお棺に掛かっていて、人生を自分のためじゃなくて、世界に目を向け続けた、先生らしいお別れだった。入院中、お見舞いにいったらもう声がでないが、目はしっかり反応した状態だった。目はいつもわたしが話すときと変わりはなかった。先生をおどろかすのが好きだったので、何か楽しかったり驚いた出来事をお話ししようと泣きながら必死に話した。先生はいつもどおり目をまん丸と見開いて動かし、「へー!」とか目を細めて「おもしろいですね、じゃたにさんは」とか、聞こえた気がした。声が出なく、手も少ししか動かせないので、目だけでしか会話ができなかった。だけど、元気だったときも先生は、自分のことなんかひとつも話をしたことなくて、わたしが先生のことが知りたくて質問しても、忘れちゃいました、とか、考えたことなかったなー、とか言って、その質問にまつわるフィールドワークの出来事を話してくれて、逆にわたしを喜ばしてくれた。だから、いつまでたっても先生は自分のことを話さなかった。でも、最後まで先生は行動で示す人だったと、レインボーフラッグをみて確信した。あまりにもの先生の偉大さに、葬式中、質問がひとつ浮かんでしまって、ああ、もっと早く素直に相談しとけばよかった。きっと、先生ならこの質問の意味をわかってくれたと思うし、弱さの中にある人々のパワーをたくさん吸収してきた先生なら、どんな話を聞かせてくれただろうか。と、悔しかった。わたしが言葉を発せなくなったときに、カン違いされるような行動はしたくないから、もっともっと世界にたいして誠実に行動しようと思った。先生ありがとうございました。

2016年10月10日 BLOG