蛇谷 りえ / JATANI RIE

記憶のために

嫌なことや都合の悪いことは忘れるように蓋をする。嘘をつくほど賢くもないので、いま、ここを蓋していることがだれもにばれるぐらいわかりやすい、体がびくっと反応をする。だから忘れたいことはいつまでも覚えている。でも忘れたくないことは、何度も言葉にしてみても、あれは夢だったか、そうであってほしいという妄想だったか、事実だったのか、話せば話すほどわからなくなる。人間の記憶の曖昧さは、そういったことで、実のところ、本当なのかどうなのか、本人すらも確認することは不可能に等しい。だけど、映像があると、記録という事実性の高さから、あのじいちゃんが話してたことは、もしかしたら本当かもしれない。と疑う余地もなく話がどんどん体に入っていく。映像を見るように。たしかにここに人はいて、店はあって、景色の中に痕跡があるわけだからと自分のいまの残ったいる形を見ながら記憶をたどる。人の記憶をたどるのは、昨日の夜空にはなかった星を見つけることに似ている。ずっと昔に光った星が、長い年月をかけて、ここまで届いて、それを発見することも、昔、何気なく過ごしていることが、人間の記憶や記録映像によって、何十年後に語り出されることも、おそろしく感激する。

2016年12月05日 BLOG