蛇谷 りえ / JATANI RIE

豆のマリネ

最近のお気に入りは、豆のマリネです。相変わらず、にんげん世界はハッピーなときもあれば、どん底なときもあって、懲りずに心があがったりさがったりしてますが、チョコレイトやコーラに負けず、コンビニにも負けず、この前のたのしかったこととかお気に入りの音楽とか聞いて、他のことに想いを馳せて乗り越えてます。ふと、豆のマリネのことを思い出すと、ああ早く家にかえって食べたいなーってなります。じゃがいもが安い時期なので、薄く千切りにして、お好み焼きみたいにするのもおいしい。それから、生のとうもろこしを茹でずに、そのまま包丁で豆だけをそぎ落として、バラバラってなったのをフライパンで軽くバターで炒めるんですが、ここで、フェンネルシードをいれるとおいしいことに気がつき、これも、もぐもぐがとまりません。豆のマリネととうもろこし炒めの下に、一口大に切ったレタスをたくさん盛って、白ご飯がレタスになってるみたいな状態で豆のマリネととうもろこしをたべるともうもぐもぐもぐってリスになった気分になれます。わたし、リスみたいだなーって思いながら、最近テレビドラマをネットで見るんですが、これがまた人間模様が描かれているわけだけど、ビデオってやっぱりずるいなって思うんです。登場人物の視線になったようなカメラワークに切り替わることがあるんですが、にんげんってそんなに1シーンでたくさんのこと見てないのに、ビデオだと、まるで全部見えているように描かれて、全部聞こえて、全部見えていて、全部記憶されている回想シーンとかあるんですけど、実際は、全部見えてない。当時あなたがどんな服きて、どんな靴履いていたのかも見てないし、どんな話をしていたかなんて、顔を見ていたら聞こえてないことの方が多いし、話よりも、表情とかそのときの風景の方がが印象が強かったりして、都合のいいことしか記憶にない。なのに、ビデオは、再生すれば鮮明にそこに現れる。だけど、現実は、わたしの頭の中にどんなに鮮明な像が描けていても、その像をあなたに見せることは不可能に近い。どんなに言葉を紡いでみても。話せば話すほど遠のいていく。時間が経てば忘れていく。悲しいことだ。だけど、無謀にもわたしはそんな人間と過ぎ去ったことを確認したい。今ここで何があったのか、わたしとあなたがここで何を見て、何を聞いたか、ビデオが写せない歯がゆいところまで、今すぐじゃなくても、何十年先でもいいから、記憶の中で接続したい。

2017年06月29日 BLOG