蛇谷 りえ / JATANI RIE

呉服屋の話

姑が昔から見立てができる人で、息子も勉強して家業を継いでいた。嫁入りしたときに、手伝うようになって京都についていき、問屋にいって買い付けをした。これはあの人が似合うんじゃないか、あれはあの娘がいいんじゃないかと。店舗はなかった。姑の信頼のみで、近所の人だけでなく、生まれ育った隣町の人の見立てもした。次第に問屋が自宅にきて、こんなのどうですか、とやってきた。だけど、問屋制度はなくなった。問屋の持ってるネットワークしか仕入れができないし、問屋が大半の額を持っていくから、買い手のお金でだれが儲かるのか不透明だったから。その時期になって、着物を着る習慣もなくなっていた。着物はうん十万するので簡単に買えない。買ったところで、一年に一度、人生に一度やってくる行事で着物をきることも、着方もわからないから。買えなくなった。だから、亡くなった姑や母親の着物をリサイズして、娘がきれるように仕立て屋に出したり、汚れたらシミを落としてあげたり、目立たぬように裁縫した。いらない着物は相談にのってリメイクして、小物にしたり、洋服にしたりできる人にお願いした。蔵の整理をしている家から、着物をあずかってほしいともらい受けることもあるから着物がたくさんある。でも転売はせずに、似合いそうな誰かにゆずることもある。子供が小学生のときまでは、毎日着物をきて過ごした。かすりが好きで、かすりの端切れを洋服にして、着まわしている。買って集めたものもあるけど、一つは姑のかすりの着物でズボンにしたり、ジャケットにしたりしてる。仲介ばかりしてるから、あのときから、呉服屋の売り上げでは生活が成り立たないので他の仕事もしている。時代に合わせて、形をかえながらも、呉服屋として、着物、人、信頼がいろんなところから集まってきている。自分の着物を何着か見せてもらったときの嬉しそうな顔がよかった。着物文化の衰退も気になるけど、この町の呉服屋はすごいなあ。

2017年07月19日 BLOG