料理の正解
料理本を見てると、レシピじゃなくて、そのレシピにいたった思考が気になって、そういう本を読んだり、レシピから想像したりする。そしたら、その人を取り巻く状況や環境によって食材や調味料が選ばれていることがわかる。選んでるというか、諦めてるように感じる。人間が諦めたときの行動が最近おもしろい。ある人の料理本を読んで、そこにはレシピはほとんど掲載されてなくて、なぜわたしがこういう料理をつくることになったのか経験談が描かれている。料理は、大したことないのだけど、その料理ができた過程に説得力というか、リアリティがあるから、強度を感じる。「いつも食べてて、おいしいし、助かってるから、みんなも作ってみたらいいと思うよ。」みたいな、だれにもこびてない。その人の、お腹のまんまの料理本。
お店で料理を出すようになって、料理をつくる人の気持ちに寄り添ってみたり、お客さんの気持ちになってみたりしながら、これでいいのかな。と飲食の確信が持てなかったんだけど。でも、いろいろ見たり、食べたり、考えてきて、やっぱり料理も同じで。そこにリアリティがあればいい。即興だろうが、再生できようが、量産できようが、ジャンクだろうが、高級だろうが、なんでもよくて。その料理をつくった人のリアリティを、オペレーションのスタッフや食べる人たちに共有して、想像できることを信じることが私の店では大事なんやと思った。だから料理はなんでもいい。リアリティがあれば。家であたりまえにつくってる料理が、誰かにとって、驚きのものだったりする。外国人なんかほんまそれやし、日本だって、もう隣町にいったら違う国みたいなものやし、それがおもしろいと思えるんだろう。だから、そういうレシピ本やSNSは見ていて楽しい。写真にリアリティが写り込んでる。
わたしのリアルってなんやろうなーと、家で料理しながら考える。食べることが好きな人は有利だ。わたしは食べることがそんないうほど好きじゃないので、時間があるときは、十八番をつくるつもりで挑む。いまのところ、十八番はご飯。鍋で炊いたごはんは最強においしい。大阪かどっかいったときに、白ご飯がおいしくなくて、鳥取は白米もお水もおいしいから、鳥取の家におるときは、美味しい白米を選ぶようにした。鍋もいい鍋買ったから間違わないし。ごはんに合う具を探そうか。炊き込み御飯も好きやけど、ちょっと工程が多いし、白米が美味しいからあんまり加えたくない。味噌汁は、お湯で溶いただけでおいしいことがわかったから、道の駅でいろんな味噌を試すのが楽しい。出張先の町でいろんな人がいろんな味噌つくってるから、それを試食して品評するのが私流の味わい方。豆腐、豆、厚揚げ、うどん、たこやき、なすび、キャベツ、かぼちゃ、だいこん、にんじん、ぴーまん、たまねぎ、しょうが、じゃがいも、コロッケ、魚、貝、くだもの、ヨーグルト、パンケーキ、プリンが食べたくなるので、それぞれの正解を研究していこう。あるもんでなんか考えるのが好きやけど、いまはわたしの普通をつくりたい。自分が食べたい料理がないなら作ろうというノリでやっていたら、いつかわたしも、わたしの料理本がつくれるね。
2019年09月13日 BLOG