蛇谷 りえ / JATANI RIE

提供する/されるの間

普通、一般的な提供する/されるの間の話をきくと、その距離感は結局、提供する側がものすごい苦労が生じるし、される側もそうじゃないと、マイナス点を探すことになったりする。それが商売ってやつさ、となると、なんていうか、その緊張関係は持続するのは人も体力も精神も消耗するし、結局それは、価値があるんだ、お金が必要だ、で、提供される側にお金の負担が大きくかかってくる。それは、一部の人なら今も昔も通用したかもしれないけど、今どきそれをなぞりたいと思ってやってない。それは、提供する/されるの間で、本当にマストなことなのか、疑問さえある。普通とか一般とか、ただそれが多く目にするだけであって、別にそれは、アレやん。もーはーやー、その緊張関係とは違う間やったら、もっとお金周りがシンプルになるやんか。

生まれて30年も届かない私なりに、そういう緊張関係とは違う間を目撃してきたし、つくってきてはいるけれど、それは、もう少し言葉にしないと、相手にとっては、ただのズボラの屁理屈にしか聞こえないんだろうなー。それは相手にはまるで見えてないんだろうなー。そんな、間のことなんて、ちょっとしたことなのに、そこに価値をわざわざ作るのは、なんだかめんどくさいやん。もっと経済が発達してないときは、さらりと、お互いを思いやってクリアにしてきてるやん。お金のために、何かを過剰に提供するのは、本末転倒やし、昔の人からみたら、ぜんぜんかっこよくないやん。無駄が多いし、ゴミも出るし。昔は、もっとそんな説明とかなしに、おいしいものが、たのしいものが、もっと身近にあったはずや、おこるぞコラー。

2013年06月13日 BLOG