蛇谷 りえ / JATANI RIE

土地のゆかりのあるなし

仕事をやってると、「土地のゆかりのある人」と「ない人」の話になるけれど、そこで話をしてしまうと、ある人とない人と、比較的になって、互いに「幸せ」になる話になりにくいので、なかなかむずかしい。だけど、「しがらみ」とかで、思考がとまる瞬間があって、あれはやっかいな言葉だな、と思う。関係性なんて、あってないようなものなんじゃないかな。じゃあ一体、それは何が原因なのかな。

話がしたいことは、私もふくめた「ここ」にいる人が、すこしでも「幸せ」になるためのことで。それが成されるのであれば、話すだけでなく、実行もうつせばいいと思ってるけど、話しをする行為にいたっては、なかなか感情的になったら、こちらの意見を押し付けたいわけでもないのに、どうも理解してほしいっていう気持ちの方向に走り出して、そんな自分にふと気づいて自己嫌悪に陥って疲れる。実行にうつすことは、それなりにあきらめも、開き直りもできるようになったのにな。

そういう話す場面のやきもきは、昔からあって、思い出すだけで恥ずかしい気持ちになるけど、若かりし思い出だったな、と受け止めて、改めて行くしかない。でも、まだまだそういう場面はあって、疲れてる。言葉にとらわれている。前までは、そんなことなかったのに、言葉だけじゃないことを信じられてたのになー。きっと、心がおだやかじゃないから、そうなってる。心がおだやかなときはどんなときだったか、思い出してみるけど、それは自分ひとりじゃ作れるものじゃなかったな、と結局外部を頼ってた自分を知って、さて、どうしたもんかな。と立ち止まってる。

 

2013年06月07日 BLOG