蛇谷 りえ / JATANI RIE

流れ星を見ました。

三重県と滋賀県と奈良県の県境にある、京都の村・南山城村っていう小さい村があって、そこで音楽や美術の展示のイベントがあった。一連の流れはどれもよかったんだけど、一番よかったのは、「流れ星を観に行きましょうよ」の一言で、みんなでぞろぞろと山道をあるいて、車が通る気配のない道路の脇に、寝転んで、いっぱいの星を眺めたことが印象的だった。

コンクリートがまだ生あたたかくて、汗で冷えた身体が安心していたり、姿が見えない友達の声に反応しておしゃべりしたり、「20秒だけ静かにしてみましょうよ」と頭の方から聞こえてくるひと声で、一気に静かな夜がやってきて、もうすこしかなーと思ったころに、でっかい流れ星がぴかっと通った。

中学生のとき、なんとか流星群が見れるとかのニュースをみて、何年に一回かなにかで、一人でドキドキしながら、テストの勉強をするふりをして、夜中の三時まで起きていた。朝型に見えるとか、手元にあるニュースを便りに、朝日がのぼるまで窓の外をみてた。窓をあけると寒いから、布団に包まって、イスを窓のぎりぎりまで寄せて、マンションの自分の部屋の格子のある窓から、小さい面積をした夜空を見上げていたのを思い出した。もちろん、そんな小さい面積で流れ星は見えるはずはなかって、しょんぼりしながら寝た。そんな時間だれも起きてないねんから、静かにマンションのドアから、外に出て、もっと広い空き地まで出て、大きい空を見ればいいのに、と今になって思いつくけど、あのときの私は、そんな法則はしらなくて、ただ大きな期待を抱いた、精一杯の行動だった。

今になっても、夜空をみる行為は、1人じゃあんまりしないけど、ああやって、観にいきましょうよ、とさりげなく誘ってもらえたのは、変な期待とかなしに、自然にただ星を見れてよかった。ただ星を見るだけで、たまたま流れ星がたくさん流れてる感じが、よかった。大きい期待とか、そういうのは求めずに、でも、思ってた以上の感動はあった。ただ星を見ることだけでよかったんやなーって、高橋くんに教わりました。

2013年08月13日 BLOG