蛇谷 りえ / JATANI RIE

社会によってつくられた身体

私もみんなと同じ社会にいるけれど、同じ世界にいるのにも関わらず、全く価値観がちがう人がいると「ええー!」と引くときもあるけど、よくよく考えると、その人(自分もふくむ、個人)は悪くなくて、たぶん、社会によってプログラムされている。あれがほしいと言えば、早く、安く、それが手に入る事とか、自分の意見を言わなくても、大きなしくみは回っていくこととか、同じ作業をしていれば、成果とか関係なく賃金が発生することとか。社会は、おおきな意味に限らず、家族とか、友達とか、職場とかそういう自分をとりまく関係性のことも意味している。

そのプログラムされていることに気づくかどうかは、その世界から離れてみて、その世界にいる自分を自分がどう思うか、客観的にみると、その回答はぼんやりみえてくる問題である。きっとそこに不満や不安がなかったら、それはそれでいい。みんなそれぞれの生き方があるから。だけど、自分とは違うことに対して、邪魔したり、バカにしたりすることは、許さない。一方でもしも、そこに不満や不安を抱く自分に気づいてしまったり、変わりたいと望むなら、それは、どうにかしたらいいと思う。どうにかする、とぼんやりしてるのは、そんな世界に対してどう振る舞うかの方法さえも人によっていろいろだから、各個人ができる範囲でどうにかしたらいい。誰もに通用する何か方法を知ってる人は、先生になってその個人に合わせて正しく学びに導いた方がいいし、実践してかっこいい背中をみんなに見せることが最善だと思う。

でも、方法を知ってるうんぬんはあまり重要ではなくて、プログラムされちゃったことをわかっていることが重要で、そうしたらたぶん、どうにか手を動かしたり、いろいろやってみれば、そのプログラムは解除できるはずで、でも、その解除の方法は、自分が自分でボタンを押さないとだめで、他人に求めることじゃない。ましてや、そういった勇気とか自信とかはお金では獲得できるものじゃない。もしかしたら、他人や外部によって、背中を押されることはあるかもしれないから、自分以外の人に出会うのもいいかもしれない。でも結局は自分が、そのボタンを押す事になるんだと思う。どんな人も、そのボタンはあるし、そのボタンを押す勇気もある、そんだけ人間はすごいってことを、私は目の前から教えてもらっている。

大学で数回プレゼンテーションをしたり、仕事をしていて、思うことがあったので、発散しました。

2013年08月02日 BLOG