蛇谷 りえ / JATANI RIE

波が遠くから、静かにたゆたってむかってくる。どの波に乗りたいかを決めるために、波の向きや傾向を観察する。地形、風の向き、昨日は嵐だったか、いろんな原因によって波の形がかわるらしい。そんなにデータはないけど、なんとなく、昨日は風つよかったもんな。とか、天気よかったからかな。とか。ぼんやりと私なりに記憶していく。波をみて、これだ!と思って前にむかってパドリングをするんだけど、たいがいその次の次に、いい波がくるので、これだ!と思ったその次の次の波を見てみたいとおもって、ボードからながめていたら、今度は見すぎて乗り遅れてひっくり返される。

いい波は音でわかる。ゴゴゴゴって、後ろからせまってきたときに音が聞こえる。あとは慌てず立てばいいんだけど、「立ちたい!」って焦ると前のめりになって、波に乗れないから、そういう強い気持ちが邪魔になるので、心を無にする。でも、無になりすぎても、立つ意欲がなくなって立たずに波に乗れたことで満足してしまうので、私の場合、身体能力に任せるというか、反射神経に頼るのがいいと思う。言葉に気をとられがち。海に出ると、頭や気持ちが先にあって、体が鈍いことがよくわかる。頭ではわかってるけど、うまくはいかないことがおおい。体が感知するまでタイムロスがある。

乗り損なったり、待ちすぎて浜に流されたらもっかい沖に出る。沖に出るときが大変で、ダッボンダッボンと乱れた波が向かってくるところをボードをもって立ち向かわないといけない。気を抜いたらひっくり返されて、立とうとしたらまた次の波が覆ってくるので、息ができなくて必死になる。波は悪気なく不定期にやってくる。あまりにも思い通りにならなさに、「ちょっと待って!」とか念じるけど、待つはずがないから笑う。そして、なんでそんなにそうなの?とつい興味をもって、突き進んで、向き合ったところで賢いわけでもなく。体力ばかり消耗していく。どうしたもんかと、あたりをみると、離岸流で沖に出る人がいることがわかって、遠回りしてそっちへ行く。何事にも無駄なことはないと思うけど、無駄だったなと、沖から自分がいた場所をみて思う。

波がないときは、海の上でひたすら待つ。覚えたての歌をでっかい声で歌ってみたり、考え事をしたり、わざと海に落ちて海の深さや水温を確認してみたり、波や雲を眺めたり。そうして待ってると、必ず波が出てくる。時間がたって風の向きがかわったり、たまーに、突然いい波がきたり。そういうときに、夢中になって遊んでいると、乗り遅れて「しまったー。」となるので、そうならない程度で遊ぶ必要がある。あんまり深入りすると、本来の目的を見失わないように。わたしはたぶん、これぐらいの力加減が世界に対していい塩梅なんだと思う。声のトーンとか、距離感とか。あと海の上では、パドリングをする練習をすると、腰とか肩の調子がよくなるのでよい。練習は、ほどよい集中と反復があっていい。飽きないというか、発見がある。もしも、飽きたら、どうする?と海に話しかけた。自分が仕掛けたり求めることだけがすべてじゃないから、天気や環境でいつもと違う作用が起きたりするし、時間がたつと変わることもあるから、待ってたらいいんじゃないかな。と答えた。

2018年11月09日 BLOG