写真
思い通りにいかないから、思いとか希望とか計画とかしなかったらいいんじゃないか、って道にころがってる小石をけって歩いて、とあるギャラリーへ向かう。35年前に撮った写真の展示を見た。74歳の元気な作家が、かっこいいメガネしてダミ声でやさしく「なんでも聞いてくださいねえ」と話しかけてくる。爆音でクラシックが流れる。35年前に出会った女性のヌードの写真、撮影場所は今は文化財なんとかで保存されてるところで当時住んでた友人がいて、2~3日ここで撮影したいから、出ていってくれ。って頼んで撮影場所にしたらしい。他人の自宅、他人のベッドの上に寝転がる女の裸体。この女の人の名前は忘れて、どこに住んでるのかも生きてるのかどうかも、今はわからないと作家はいい、たしか保母さんをしてて、もうすぐ嫁にいくために鳥取を離れるから、わたしのヌードを撮ってくれと依頼されたという。そのかわり、おれの撮りたいものも撮らせてくれ、と交換条件で撮影がはじまる。展示されてる写真の中に、いくつか、意図的なのがあって、それがどうやら作家の意向らしかった。写真をプリントしてプレゼントしたら、「孫にみせる」と彼女はいって、まだ嫁にいく前で、こどももいないのに、孫の代を想像して、孫がいる頃わたしはただのおばあちゃんになってるから、これをみせて、これがわたしだと言いたい。と話したそうだ。写真にはお尻も胸も顔以外はぜんぶ写ってて、若い肌の質感で、肌にやさしい光がうつってて、艶かしいこともなく、被写体との関係性がエロくない。ただただきれいな身体。顔はあえて、ぶれさせて、でも目だけこっちをみてるショットが一枚だけあって、にくい写真。目がすてきな人だった。タバコも吸ってて、姿勢も凛として、無駄のないかっこいい肉体。35年前に撮影して、フランスのレンズで引き伸ばして、印画紙に焼いて、保存してたのが、今、ここでこうして見れるってすごいなーとおもって、そういうスケール感の作品に触れるのが久しぶりだったので、感動してしまった。この女性は、どんな人間になって、どんな人生を歩んで、どんな身体になったのかなあ。この写真を撮ったとき、どんなことを考えたんだろうか。あれこれ環境と抵抗できない老化によって変わっていく女性の姿。わたしがわたしである理由って、空間や関係性でもなくて、身体ひとつで十分なんやな。いい写真でした。やっぱり記録はおもしろいなあ。プリントにして、劣化してたり、してなかったりしながら、だれかと共有できるのがロマンだねえ。
2018年07月17日 BLOG