蛇谷 りえ / JATANI RIE

Seoul 2

スンドゥブ、カムジャタン、トッポギ、ホットック、マッコリ、白菜のキムチ、えごまの葉のしょうゆ漬け。前回は全部がはじめてで感動しかなかったけど、二回目は味わいながら食べる。すっきり系とみそ系の辛さがあって、出汁は牛の出汁よりも海鮮や豚の出汁の方が複雑さがあってわたしは好きだったな。豆腐がおいしい。えごまの葉のしょうゆ漬けはお肉に巻くといろんな味がした。トッポギは田楽みたいで意外と好きだった。白菜キムチは、寿司屋にあるしょうがのように、お店に必ずあっておかわり自由でお店によって発酵具合が違う。白菜の漬かり具合はシャキシャキで、白菜がおいしい。だから、何軒もいくと、ここのキムチは。と勝手に研究して遊べる。にんにくっぽくも甘くもなくて、透明感がある。いくらでも食べられる。マッコリもいいマッコリは甘すぎず。お米独特の重たさがないのでぐいぐい飲めちゃう。

前回いった町へみんなを連れて歩き回る。面白そうな方向へずんずん歩いていく。面白そうってなんなんだろうなと考えながら、体がこっち!と赴くままに歩く。ミシン、溶接、木材、いろいろ。町のど真ん中で職人さんらがせっせとものをつくっているのを眺めながら歩く。こんなに作ってどうするんだって思うほど、その日だけが忙しいんじゃなくて、習慣がわかる、ものの配置、汚れをみて、毎日こうなんだろうなと作業する姿に営みを感じる。そのエネルギーを受けてさらにぐんぐん歩いてしまう。先に光州へ行ったので、比較ができてよかった。光州の繁華街は作られた最新のものがおしゃれなお店で並べられているわけで、わたしはあんまり興味がなくて歩きたいと思わなかった。ファッションは興味あるのに、なんでかなと思ってたんだけど、その違いは明快だった。

食材や乾物ものが並ぶ市場はところかしこにあって、そこも楽しい。こういう市場も日本に昔はあっただろうけどもう見かけないから新鮮。秋田にいっても少しあった、大阪でいう黒門市場的な。沖縄にも高知にもあるか。それでも、ここのはそれらとも違う。観光化されて、写真もあるし日本語も通じたりして楽しめるけど、理解ができるゆえ、思考停止してるところがある。わたしたちが滞在してたエリアは市場がたくさんあるし、ご飯屋さんもカムジャタン専門とか海鮮専門とか、ホルモン専門とかエリアによってまとまってて、市場によっても中身が少しだけ違う(だけど、観光地化されてるのでわかりやすい料理が並んでるためだいたい同じに見える)ので、市場研究をすればもう少し見方が変わるのかもしれない。けど、私はやっぱり職人の姿をみてるのがおもしろかったな!工場で大人数がだだーってつくってるんじゃなくて、一人一人が小さい作業場でつくってて、壊れたものもここに持っていけば直してくれそうって気になれる。そんなスケルトンさをみて、むかしむかし最初はこうやって一人一人が機械をつかって産業にしていたけど、いつのまにかどっかの国が工場つくって機械みたいに人間が働くことになって、どこからきたのかわからないものが流通して、と時代の流れを想像する。そして今生きる人たちが綺麗におしゃれに消費してゴミにしているわけだから、もう誰のゴミかっていったらみんながつくったゴミなわけで、どうせゴミをつくるなら、ちがう価値にしたい。そんなことを思いながら2014年にザハハディドによってつくられたDDPをみて世界の希望を感じつつ、スペクタクルに頼らず、一人一人の手で一個一個やるしかないよね。とおじさんたちをみて励まされる。

2018年10月24日 BLOG