ゴミ山
無責任につみあげられたゴミ山のようなお金の使い道について、責任をもちたくない人間が会議して「とりあえず」の解決をする。そこに残された者への配慮はなく。権力のある年老いた専門家に耳を傾け、我が子を想う者の声は聞こえない。そこに所属する人間は、大きすぎるゴミ山の使い道について、自分ひとりで解決できない歯痒さを抱きながら、どうしようもない居酒屋のテーブルを囲み、意見する。その波紋が届いて、私のポケットにはいってるお金と、それはつながってることに嫌気がさす。そもそも、そんなゴミ山を作らないでほしい。自分が汗水垂らして、寝る間を惜しんで手に入れたお金の一部が、大きなゴミ山の扱いにされているなんて、悔しすぎる。
わたしたちのお金はゴミじゃない。やりたいことのある人が、やりたいことが達成するまでお金を使うべきだし、それは他人だろうが、一生懸命な背中を見てるだけで応援している気分になるもんだ。お金の使い道を考えてる人は、早くリタイアして、やりたいことのある人たちにその席を明け渡した方がいい。お金がないからできないものごとなんてない。大昔は貨幣なかったし、お金で交換できないものごとはこの世にたくさんある。お金に惑わされないようにしないと、やりたいことがぶれる。まじでむかつく、この仕組み。
2015年11月04日 BLOG