具体的
パーマカルチャーに関心のある人らに同行して、トットリをツアーした。自然農で生活を営んでる人たち。規模は家族から大量生産までさまざま。彼らは超具体的な話をし、具体的な情報交換をしていて、ぜんぜん話に入れなかった。具体的、というのは専門知識とは、また違う、具体的な問題で具体的な解決法。彼らには、田畑の以前に土があって、空気があって、天候があって、植物の生態もあるから、必然的に具体的になる。こんなにも熱く具体的なことを話し合ったことってあるかなーと、その風景をみながら自分のことを考える。具体的って、すごくうらやましい。大阪にいたときも、そう思ってた。だから具体的なことを手にいれたくていっぱい経験してきたつもりだけど、具体的なことだけをしてると、窮屈になる自分もいて、宙に浮いていたくなるから、たまに両手を離すようなことをする。パーマカルチャーもそうだけど、具体的なことをするあまりにちがう世界にいっちゃうような、そういうのがおもしろいと思うんだけど、その次元にたどり着くわけじゃないみたい。
具体的に向き合える人に憧れる。家の中で具体的に作業をしている人とか、工夫を凝らしたり、自分の癖をいかしたりするのとか。匠。でも、わたしはどこかのタイミングでふっとそこから離れてみてるのが好きみたいで、具体的のそこになかなかたどり着けない。憧れてるのに、そこにはどうしてもいけない。悲しい。悲しいけど、このようなやり方でやっていくしかないのかもなー。
2014年02月19日 BLOG