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記録メディアは、撃つだけじゃなくてやっぱり見ることが重要なわけで。

毎日毎日、息するように、自分と目の前と繋がって、ちがうカタチとなって、なにかしらが返ってきて、世界がまわっているんだけど、記録する暇やスキマは、まあそうない。カメラを持つ時間があれば、掃除しちゃうし、パソコンに向かっちゃうし、大きくだれかに手を振ってしまうから。毎日は、自分のものさしの満足度によって、マンネリしたり、満たされたり、向上したりするわけだけど、それが結果的にどんな足跡になってるか、は、歩いてる最中はわからない。なんで?って言葉で聞かれても、「だってそこにあるんだもん。」と答えるぐらいで、大した理由なんて、その瞬間にはない。でも、後ろをふりかえったときに、もしかしたら、こうなのかもしれないなー、いやどうかなー。とその理由みたいなものが、これまでの自分の動きの傾向みたいなものがわかることが出てくるのかもしれない。

それが、カメラなりの記録メディアだと、その振り返り度合いが何百倍もする気がする。もちろん、いい思い出もあるし、都合いい思い出し方もするかもしれないけれど、どんな些細なことも、思い出させてくれる。ワタシなんかは特に、記憶力がないので、そういう装置があれば、なおいい。でも、ただ記録するんじゃなくて、見ることが重要で。見るっていうのは、垂れ流しするんじゃなくて、誰かと見ること。誰かに察してもらうんじゃなくて、その記録をいろんな視点で見ること。言葉にすること。より深めていくこと。その繰り返しが、やっぱりおもしろいなーと、思う。

アートとはまた違う、メディアの力やと思う。その意味でも映像はおもしろい。写真もおもしろいけど、映像の「作りにくさ」が好きやな。そんでもって、わたしはやっぱり見るのが好き。見るっていう態度が好き。

これも日記つけてるけど、ちゃんとまとめて話す機会をつくらないと、思い出すぐらいしかできてなくて、積み重なってないから悔しいなー。

 

2013年10月16日 BLOG