お食事会にて
近所の80歳近いばあちゃんとは、お風呂仲間でよく通る道ですれ違う。遠くから私の姿が見えると、手にしてる杖を大きく上にあげて手をふって歩いてる。きっと、この人の足が悪いのは嘘なんだと思う。こっちの天気もあたたかくなって、外でぼんやり休憩してたら、ばあちゃんが通りかかって、「あったかくなったね」と話をする。「それでも夜は風が冷たいよ」と難儀そうな顔するので、「じゃあ鍋でも食べよう、来週水曜に」と口約束をする。あっというまに、時間が経って約束の日がきて、ごはんの支度をして、ばあちゃんを迎えにいく。外は雨だったので、すぐ近い距離だけど車で迎えにいって、「ようこそようこそ」と迎え入れる。以前いっしょに食べた青森のせんべい汁と、椎茸を甘辛く炒めたやつ、おいしかったわあ、となんども思い出してくれていたので、同じメニューをつくりつつ、あたらしいメニューも披露する。だけど、ここ最近食欲がないらしく、お茶碗いっぱいでごちそうさまをして、人参の独特の甘みが苦手らしく、おすすめの蒸したサラダはお世辞にも口にしなかった。とくにこれと言った会話はないけれど、最近のテレビの話とか、体の調子とか、昔の話とかをたんたんと話し、食し、クスリの時間がきたので、家まで見送った。小雨がまだ降っていたので、早足で歩いていたら、ばあちゃんはものすごいゆっくり歩いていて、あっというまに差がついてしまい、ごめんごめんと軽く誤って並んで歩いた。家の前にたどり着いて、今度は春のごはんを食べようと約束して、ドアを閉め、暗い部屋の中に消えていった。経った一時間ほどのことだったけど、私はのりちゃんのことを思い出していて、どうしてちょっとしたこのようなことが自分の祖母にできなかったんだろうか、と悔やんだ。経った一時間で、大した料理も必要ないし、気取る必要もないのに、ただ、一緒に食べるだけのことやのに、それだけで、たくさんのことが拾えた気がするのに。なんでもそうだけど、こっちと向こう側になんにもほんとは壁も作法もなんにもないのに、頭のどこかで、向こう側にいかない、行こうとしない、行けると思ってない自分がいて、でも、そんなのは幻で、なんにも壁なんてないことは、今になってきづいた。せめて目の前にいる80歳近いばあちゃんが、生きてる間にもっと向こう側に触れられるように、いろいろやっていこう。と、何か方法を考えてる。
2013年03月14日 BLOG