蛇谷 りえ / JATANI RIE

自分のこだわりと社会、責任

自分のこだわりをもっと捨てなさい、と、どこにいても度々言われるので、なかなか避けられない。常に問いかけられてるようなので、考えざる得ない。自分のこだわりを持ってたつもりはなかったけど、いつのまにか持ってたみたいで、まるで鎧みたいに重たい。自分のこだわりと、自分の輪郭ってのは、同じものだったのか、ちがうものなのか、それすら整理がついていないけど。自分ってのは、私を取り巻く環境によって変わるもので、でも、それでもどうしても変わらない皮膚みたいな輪郭がそれだと思ってたけど、このこだわりってやつは、どうも、身体的なものではなく、思考が邪魔をしてるようにも思える。自分の中で完全にぶれてる。このぶれを愛してしまっていいものなのか、でも、こだわってない人のかっこよさは知っていて憧れる。でも、それでも、いまの環境にどうしてもYESを言えない部分があって、そこにどうしても抵抗しようとしてるのは、もうどうにもできない30才☆として、やっぱりつきあってやるしかない。40才になったら、この抵抗心は終息するかもしんないし、そうなったらあのときは若かったなーとか、思うとしよう。

自分と、私を取り巻く社会の中で、一人でだけで生きてれば、それはもう自由に自分だけのことを考えて生きるんだけど、(だって、ぼのぼののアライグマのおやじもそういってたし、それは動物的人間としてすばらしい暮らしだと思ってる)だけど、犬と暮らし始めてから、すこし意識がかわった。会社は2年前からやってるから、経営者として意識が芽生えた、と言えばかっこいいけど、そうでもなく。犬と暮らしてからリアルに自由じゃなくなった。毎朝、毎夕散歩にいかないとプンプンしてくるから、遊び相手もするし、しつけのことだって犬のことを考えて時間を費やしてる。今まで、自分一人で勝手に生きてれば考えたこともなかった、何か守る感覚が今はあって、ちょっと父親の無理してサラリーマンをしてる理由がわかっちゃった気がする。今まで、みんなに支えられてる感じとはまた別の、責任というか、引き受けてる感じが、いっそう強くなった気がします。避けて通れない壁は次々とやってくるけど、まわりをみれば、いろんなスタンスで乗り越えてる人がいて、その中でもおもしろく戦っている人もいる。だからわたしも、どうにか楽しんでやろうと思っているのであります。

2014年07月16日 BLOG