蛇谷 りえ / JATANI RIE

続けないと。

夏に、近くの公園でおとうさんの散歩をしていたときに、工事中の家をよく見かけた。更地だったところに、柱が出来て壁ができて、窓がついて、あっというまに家が完成していた。内覧会があるとは聞いていたが、それからは家の中の工事にとりかかっていたらしく、気がつけば冬になり、ついに内覧会の知らせを耳にした。おとうさんの散歩がてら見にいくことにして、家がみえる公園におとうさんを待たせて中に入った。そこには、設計した人かな、説明上手な男の人が笑顔で案内をし、「安心」「快適」「健康」と響きのいい言葉が何度も出てくる。私からすれば、それらはtoo muchなようにしか見えないけれど、どうやらこれが現代の水準らしい。この家ができるまでに、男と女がなんらかをして稼ぎに稼いだお金だから、どんな家が同じ町に建っても、私には関係ないし、私がとやかく言う筋合いも必要もないのだけど、だけど、歩いていけるエリアにこんなにも価値観の違う世界が隣にあるなんて、なんていうことだろうか。と、愕然としてしまった。

地方だ都市がなんだ、交通の便が発達してないからってなんにも関係ない。私を含む、地球上の人々は、とてつもなく大きなものにもうすでに覆われている。それらは自分の生活の一部、もしくは便利で欠かせない存在となって姿を変えて潜んでいる。お風呂の中でも、トイレも、ご飯のときも。おそらく寝る寸前まで。今か今かと私たちの油断やヒマのある時間を狙っている。距離とかエリアなんて全然関係ない。私を含む、みんなが同じなにかに覆われているが、そんな中でも、それに気付く人と気付かない人がいる。が、気付いてる人はまだまだ少ない。その差は水の流れのようにすぐさま絶望的な深い溝になっている(今もまさに)。

どっちがいいとかの問題じゃなくて、私の隣の人がなにを考えているかなんて、本当にわからなくなってきたってことが問題だ。私はたみで、このわからないものと付き合い続けないと。あるいは、わからないものの中から、わかるものを探し続けないと。もしくは、少しでも気付いた仲間を探し続けないと。

2014年12月13日 BLOG